娘が大動脈弓離断複合という心臓病を持って生まれた話。

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2月14日、バレンタインデーの日に娘が生まれました。とても嬉しくて、幸せいっぱいでしたが検査で大動脈弓離断複合という心臓の病気が見つかりました。もしも、同じ病気で悩んでいる人、不安な人がいたらこの記事(ブログ)を通して少しでもお力になれたらと思います。

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検診の時は問題なし、生まれるまでわからなかった。

大動脈弓離断複合で生まれた娘は、健診までは順調、問題なしと言われていました。生まれた場所は医師・助産師さんの評判も悪くなく、口コミも問題なし。人気の産院です。最初の出産も同じ産院だったので、今回もお願いしていました。

帝王切開で出産する予定だったので、予定日よりも早めに..ということになりました。

2,262gの低出生体重児

嫁もめちゃめちゃ頑張りました。

出産直前まで問題なしと言われていた娘、生まれた瞬間思ったよりも小さくて医師も驚いていたようです。しかし、すぐに元気な鳴き声もあり私は少し安心していました。医師からも「少し小さいので、念のため様子を見ましょう。」と雰囲気的にも大丈夫そうでした。

低血糖で済生会宇都宮病院へ転院

検査をしていると、血糖値がなかなか上がらず栃木県でも有名な済生会宇都宮病院へ転院することになりました。娘は救急車で搬送。医師からは「何かあった時のために設備が整っている病院でみてもらいましょう。」ということでした。少し不安でしたが、「済生会なら・・」ということで承諾しました。

医師から大動脈弓離断の疑いがあると告げられる

夕方頃になると知らない携帯番号から電話が鳴ります。「お子さんの心臓に病気が見つかりました。詳しい説明がしたいので病院に来てください。」幸せから一気に絶望へと変わります。

大動脈弓離断とは?

大動脈弓の一部が欠損・離断し、心室中隔欠損、心房中隔欠損、完全大血管転位、両大血管右室起始などの心内奇形を合併している心疾患。

引用:https://www.shouman.jp/disease/details/04_57_075/
引用:https://www.miyagi-children.or.jp/shinryo/cardiovascular_surgery/09/

本来の心臓であれば、大動脈から下半身へ血液を送るのですが、これが切れてしまっていて、生まれた時にある動脈管(いずれ無くなってしまう血管)で命をつないでいる状態でした。多少医療の知識はあったので、医師からの説明を聞いて今の状態の深刻さをすぐに理解しました。

このままでは死んでしまう。”

「なんでうちの娘が・・」とテレビなどでよく聞くフレーズですが、まさにこの状態。嫁に報告すると、嫁は号泣。自分も記憶にある中で人生で一番泣きました。

娘は命をつなぐため、動脈管が無くならないようにする薬を投与。色々な管に繋がれ、必要最低限の身体拘束もされました。分かってはいるけど、めちゃめちゃ辛かった。

済生会では大動脈弓離断複合の治療ができない

医師3人名から丁寧に説明を受けましたが、済生会では治療ができないとのこと。言っている意味がわかりません。”え?済生会でしょ?治療ができないってどういうこと?”

しかし、すでに済生会側が動いてくれていたようで、「埼玉県にある、埼玉医科大学国際医療センターであれば、治療が可能です。受け入れも可能と連絡を頂いています。」

娘が助かるのであればなんでもよかったので、承諾しました。

人生初のヘリコプターがドクターヘリ

ドクターヘリへ

次の日に埼玉医科大学国際医療センターまではドクターヘリで移動することになりました。自分も同乗することができ、医師、看護師、自分、パイロット2名、ヘリのスタッフ3名でヘリコプターにのりました。

今回乗ったのは県が保有するおおるりという栃木県消防防災ヘリコプターでした。大きすぎてビビりました・・。(ドラマでみるやつや・・・。)片道2時間以上かかる道をヘリコプターなら1時間かからないくらいで到着。

ヘリコプターが大き過ぎて、直接病院で降りれない為、近くの消防署で降り、救急車で病院へ搬送してもらいました。

大動脈離断複合の開胸手術

動脈管ステント留置(ハイブリット治療)

さっそく詳しい検査をしてもらい、説明を受けました。具体的に今娘がどのような状態なのか、どんな手術をしなくてはいけないか、イラストを交えながら丁寧に話してもらいましたが、聞いているだけでこんなにひどいんだ・・という感じです。

繋がっていない大動脈弓の代わりに、生まれて消えてしまう動脈管という血管を薬で消えないようにしながら命をつないでいる状態でした。

一般的には繋がっていない大動脈弓を繋げる手術を行うそうなのですが、低出生で生まれた娘にはまだそこまでの手術が難しく、動脈管にステントという金属製の物を入れて薬での生命維持を無くすものでした。その他にも両肺動脈を絞扼手術など様々な説明を受けました。

この時に娘の病名がある程度分かり、

診断

大動脈弓離断/大動脈弁狭窄/心室中隔欠損/卵円孔開存/動脈管開存

という診断でした。病名ありすぎてメンタルは崩壊しています。後々に遺伝子の突然変異が原因で心臓病が発症したことがわかりますが、詳細は後ほど。

生まれて4日、開胸手術

保険証もなにもできていない中、生後4日で手術となりました。「手術は成功するの?」「お金は?」「成功しても退院できるの?」色々不安があるなか、4時間くらいでしょうか?手術はなんとか成功しました。

コロナ禍ということもあり、面会はビデオ通話のみ。がんばりました。

開胸手術後

手術後は片道2時間かけて母乳を運ぶ

術後の経過は良く、ミルクも少量ながら飲めるようになりました。看護師から「母乳を届けてもらえれば飲ませられます。」とのことで母乳パックを購入し、冷凍してストックすることに。

おっぱいからミルクをあげる際、どのくらいあげたかわからないので母乳パックは量をみることができるので非常に便利でした。

一度にたくさんのめないので40mlのものを買いました。100ml入るものもありますが、飲み切れないので最初はいらないと思います。

さらに栃木から埼玉、片道2時間かかるので冷凍した母乳パックを溶けないように気を付けました。母乳は鮮度が大切です。色々調べて、保冷性が高いサーモスの保冷バックを買いました。

保冷バックの中に保冷剤などを入れれば2時間程度なら全然解けませんでした。ただ、もう少し大きくても良かったかもしれません。嫁はかなり母乳が出たので、持っていく際に捨てたものもありました。

退院、やっと家族4人が揃いました。

娘の場合、早く適切な措置を受けたこともあり術後の経過は良く、手術してから1カ月とちょっとで退院することができました。無事に生きて家に戻ってこれたことに安心しましたが、不安もいっぱいです。退院後も定期的に埼玉医科大学には行かなければならないので、移動は結構大変です。

先天性の染色体の病気、ディ・ジョージ症候群が見つかる。

担当医より、「念のため染色体の検査もしましょう」と言われていて検査の結果を教えてくれました。22番目の微細欠損が原因で起こるディ・ジョージ症候群/別名22q11.2欠失症候群(キャッチ症候群とも言われる)ということが分かりました。
※因みにダウン症は21番目

仕事柄、染色体系の病気は知っているつもりでしたが、初めて聞く病名です。珍しい病気と思いきや約4000-6000人に1人に発症するらしく驚きました。

担当医からは「発達の遅れがあるかもしれない、通常の学校にはいけないかもしれない」というお話がありましたが、我が家は逆に原因がわかり安心しました。

次の手術に向けて

娘は繋がっていない大動脈弓を繋げる大きな手術が待っています。そのためにしっかり体重を増やし、体力をつける必要があります。次の手術までは半年から1年くらいだそうです。

不安でいっぱいではありますが、もしも同じような病気で悩んでいる人がいれば力になれたらと記事を継続的に書いていこうと思います。

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